素直

薫風薫る5月 写真行脚にはいい季節ねぇ・・・と
4/29日は 友(Hさん)と ”富士山と帆船”・・・と夢をみて早めに出かけた。
約1時間半で(8時半)清水港に着く。
空を見上げれば曇よりと雲も厚く富士山も雲の中 これでは仕方ないと諦めて
日本丸を見て
お茶畑の新緑の中に働く お茶摘みの姿があればいい・・・と
方向転換してお茶畑を目指して山道をどんどん走り続けた。

でも思った景色の遭遇はなくて いつものSLの川根本町に着いた。
ほ〜〜〜あっちの方向からもこっちへ出たと・・・と余程縁があるねと笑いあいながら・・・

SL 3カ所の出会いあり♪

夢の帆船と富士山には出会えなかったけど SLの出会いもあったし・・・
夕方は早めに帰宅出来た。

翌日 5/1日 朝 写真友(Gさん)から
「山梨県の甘利山へ行くから行かないか?」
稜線 雲海の波間に富士山が顔を出し 灯りの点在する街並み・・・♪
を!

早速その気になって いつも ご一緒する友を(Hさん)誘った。
行き方の地図を見 ペンションがまだ開いていないのでテントや食事の用意を考えて
バタバタとそれに向けて走り始めた。
テントなど使ったこともないし縁がなかったので息子に手ほどきをして貰い
張れるように俄かに教わり準備も出来た。

午後2時過ぎには家を出発出来た。
さてと地図を頭に描き、国道52号線をひたすら走る友(Hさん)
それに伴って役に立たない私だが 地図を頼りにえ〜〜〜?・・・と
文殊のように唱えて一番難所 山への入口(道路に標識がないと夜ではわかり難い)の辺りへ
5時間後に通過、その時一人で行く友(Gさん)からの電話でのやり取りで
「今どの辺り???」と 電話をくれて 戻ったり 行ったりと数回して やっと山への標識が出たときには
ほんとうにほっとした。

凄い山道だけど(標高1600メートル)をどれほどの時間を走ったのか判らないけど
真っ暗の山道を走り続けて6時間掛けて午後8時過ぎに甘利山に到着。

早速慣れていないテントの設営 たどたどしいが出来上がって今夜寝られるスペースもできた。

ひと段落したら それほど遠くはないけど夜景の街並みの撮影に山道を歩いた、
くたくたになっていた夜道のこと へとへとで くたばってしまいそうだった。
そして夜景の街並みは絶景かな 素晴らしかった。
でも間もなく 寒さと疲れで 座り込みそうになってしまった。

体調悪し・・・と勇気をだして伝えて迷惑を掛けてはもっと困るので 間もなく下山した。

さてと テントで寝る支度をしてやっと体が横になれた。

友(Hさん Gさん)は 自分の車中泊となった。

慣れた友(Gさん)は装備も完璧乍ら快適だった様子に、
私と行った友(Hさん)は早急なこともあって準備も悪かったので 車中も寒くて寝られなかった・・・と、

私は二人分の寝袋や シートを占領してもテントの中の夜は
寒くてがたがたと震えが止まらなかった。
友も(Hさん)寒かっただろうに悪かったなぁ〜・・・と。

早朝4時に起きて ブルーと淡いピンクのような夜明け空に
太陽が白々と明るく照らしはじめて感動的だった。
でも夢の富士山の顔はなかった。

体験したことのない山の日の出を見 神聖な世の中を垣間見た気がしたと同時に
もう3週間も地震災害で このような寒さと不自由さで過ごしている熊本や 大分の方達のことは
忘れることはなく 体験?して 本当に大変なこと また未来に向けての不安などいっぱいなこと思われて
比較にはならないけど身につまされたこと実感の機会であった。

山の2日目は(5/2日)とても辛抱には程遠いので、もう一人の友と(Gさん)別れて 帰宅した。
その時私は疲れと昨夜の睡眠不足なのか? ゆらゆらとして前がよく見えなくて
両目で真正面をみて居られなくて 本当に困った。

眼科医も連休なので 始まったら・・・と早速予約を入れた。

息子曰く ”自分の体力以上のことをしたり望む域を超えている” こと指摘された。

自分が一番よく判った。  はい! ・・・と  嫌に素直な私であった。

2016/5/5 up