地震よ 来ないでおくれ!

台風の去ったあと、2〜3日はあんなに蒸し暑かったのに、このところ、
朝夕はすっかり秋風がたち始めました。
夕方は戸外の花壇いじりが気持ちよくなって、蚊に刺されるのが辛いけど、
しっかりガードして庭に出ました。
お終いになりかけたサルビアなど思いきって抜き、さっぱりした気分で、夕食の支度に取り掛かりました。

いつもよりずっと遅くなってしまった夕食をしていると 「グラッ・・」と きました。
静岡県は特に近年地震(東南海)のエネルギーが溜まっている予知だけに
 「もしや・・・」
って
心臓が早撃ちになりました。

目が回るような感じが治まったと同時に まだ煮掛けていた煮豆の火をすぐに消しに行けました。
防災の日も過ぎたばかりなので、火の始末だけはすぐに気が回りました。

思い起こせば5歳 の時  昭和19年12月7日 東南海地震 マグニチュード8の
地震だったのです。

この世で一番怖いのが地震です。
戦争さなかで世の中が雑然としていて、報道も今ほどない時代のことですが
昨日のことのように思い出しています。

遅い秋 稲の採り入れに (昔は秋の取り入れも随分遅かったのです)
 田んぼ道を父がリヤカーを引き、母は押し 幼い兄弟も乗ったりしていました。
学校のすぐ傍の道を歩いている時に 「グラッ」と阪神大震災並の大きい地震にあいました。
校舎はほとんど壊れ、子供たちも大勢亡くなりました。
運動場には子供達の 悲鳴とどよめき 建物と運動場の土煙 鼻の周りが埃臭いような・・・
そして「ドドッ・・・」と地響きと同時の揺れでした。

ぼう然として 田んぼ道に座りこんだ父母の姿を思いだしています。
兄が小学校一年だったので、同じ歳の子供は石門につかまって、
下敷きになって亡くなったこともありました。

私の家も傾いてそのままでは住めなくて、初冬の木枯らし吹く寒さの中で
竹やぶにむしろを敷いて 寝た覚えがあります。
村でも半分以上の家がペシャンコになりました。
随分大昔の話ですが あの情景が今でも目に焼きついています。

そんな怖いめを見ている地震です。
目の色が変わり 心臓が飛び出そうに早撃ちになって、地震が怖くてたまらない私です。
備えあれば憂いなし・・・備えだけは私なりにしているつもりですが

どうか怖い地震 私の生きているうちは 来ないでおくれ・・・
                                
04.9.6